そうだったのか アランの幸福論に学ぶ
とかく自分のことって、なかなかわからないものですよね。
僕は本業のSE仕事をやってきて、新潟で欝を発症したのですが、それが何が契機なのかよくわからなかったんですよ。
東京に出てきて、ほんと通信がわからんわ、LINUX環境がわからんわで、ただその場面を「凌ぐ」ことしか考えていなかったんですね。
近視眼になっていると、何が問題なのかわからない状況だったわけです。
で、最近(もう遅いわぁ)ですが、なんとなくわかってきたんですよ。
問題の理解のきっかけ
それは「アランの幸福論」の 本当の原因をみつける の中で記載がある
名馬が若かりしアレクサンドロス大王に贈られたときに、馬番のだれひとりこの荒馬を乗りこなすことができなかった。
普通なら。「やっかいな馬だ」ということで終わったが、アレクサンドロス大王は、本当の原因を探した。アレクサンドロスはこの馬が自分自身の影にひどくおびえていたことに気がついた。
馬が暴れると、影も暴れる。この悪循環だったわけだ。アレクサンドロスは馬の鼻づらを太陽の方向に向けるようにして、その姿勢を保ちなんとか手なずけた。
本当の原因がわからない限り、感情をコントロールできない。ということか。
アランはフランスの哲学者、評論家です。
短いエッセイ形式のコラム「プロポ (propos)」は、読みやすく、それでいて本質をついています。
この馬の話は、現在の競馬でも影で怯えて走れない馬は、眼の下に眼帯をつけて走っている競走馬もいるくらいだから、現代ではよく知られていることでもあります。
僕にとっての影は?
よくよく考えると、僕にとってSE仕事は
ということだったようです。SQLについては、ようやくだがわかりつつりますけど。
で、暮らしについては
- お金がない
- 将来に対しての不安
お金については、SE仕事がうまくいかず会社を欝で数社辞めたことで、生活が安定しなかったということ。→将来に対しての不安というつながりにもなっていたのかも。
卑近な例でもあるが、やはり「お金があれば」欝も治るのかもしれません。
アランの幸福論の中には他にも
- 大げさに考えない
- 心配しずぎない
- あれこれ考えるのをやめる
- 楽しむ
- 仕事は、自分に権限があるかぎりは楽しめる
などの記載がある。1テーマ、1ページなので読みやすいです。
あなたの欝も意外と単純な理由からかもしれません。